長財布二つ折り財布どっちブランドの旗艦店,二つ折り財布 おすすめ,長財布二つ折り財布どっち適合年齢_長財布二つ折り財布どっちどんな商標 大阪のホスト求人・店舗情報満載!「ホスマガ」


2015-02-08 04:55    長財布二つ折り財布どっち
 西部劇状況、と言ってよい状態が、信仰の喜悦と合体して存在し得るとは、私も想像もしなかった。しかもそれが一週間近くも、昼夜ぶっつづけに続くのである。  時は、キリスト教暦の言う復活祭の後の七週間目の日曜日、つまりは聖霊降臨節と日本語に訳されている日からはじまる。それは今年(七八年)で言えば五月の七日であった。  この日あたりから、スペイン西部、アンダルシーアの南部全体が、その底の方から湧き立って来る何物かに揺り立てられはじめる。  あらゆる都市や町、村で馬や馬車、幌馬車の準備がはじまり、馬車で足りない分は、トラクターにトレイラーを引かせ、またトラックもその中で寝泊りの出来るように幌馬車風に仕立てられる。  そうしてこれらの馬、二輪馬車、四輪馬車、二頭の牛に引かせた幌馬車、トラクター、トラックなどの大群——馬はおそらく千頭を越え、馬車、幌馬車、トラクター、トラックなども二、三千台にのぼる——が、濛々たる茶黄色のアンダルシーアの砂塵を巻き上げて各都市や町、村の教会で祝福を受けてから出発をするのである。  馬、あるいは馬車、幌馬車その他その他に乗った女性たちは老いも若きも例の、赤、青、黄などの水玉模様に裾と袖口にヒラヒラのついた、いわゆるフラメンコ衣裳であり、足許は騎乗用の半長靴、漆黒の髪には真紅のカーネーションを挿しはさみ、その上に黒の、フェルト製のソンブレロ(帽子)、このソンブレロの飾り帯には町や村の名が書き込まれている。単独騎乗の女性にしても、男女二人乗りの女性にしても、フラメンコ衣裳のせいがあって腰が締めつけられているために、馬の背に跨って乗るわけには行かず、両肢を馬の左側にそろえて乗るという、十九世紀風の女性騎乗の恰好そのままであるため、時にはそういう騎乗法になれていない御婦人は、ドスンと音をたてて両足を差し上げて落馬をなさる。  そうして男性の、貴族、地主、牧場主、あるいはそれに準ずる人々は、モーニング・コートのズボンのような竪縞のそれをズボン吊りでつりあげ、腰には黒地に白の水玉のサッシュをしめ、その上に皮の、サオーネと称される騎乗用の——私がごたごたと説明をするよりも、日本の読者諸氏には、TV映画の、�ロウ・ハイド�の登場人物たちの腰当てとスネ当てをかねたものを思い出して頂く方が早いであろう——そのサオーネなるものをまとい、上着はボレロ風の短いもので、頭には灰色のソンブレロである。そうして口には日がな一日かかすことの出来ないタバコである。  アンダルシーア南部全体の都市や町、村から、距離の遠い場所から出立した連中は|その日《ヽヽヽ》の一週間も前に出て来たものであり、これが野を越え、丘を越え、川を渡渉して何日も野宿をしてやって来るのである。この馬、牛、トラック、トラクターなどの大行列の先頭には、それぞれの町、村、通りなどの御自慢のマリア像、あるいは救世主像が、牛車かトラックに乗せられて立ち、それがアンダルシーアの早い夏の強烈な陽光にきらきらと光りつづけに光っている。  それは壮烈な光景である。  濛々たる茶黄色の砂塵と、悲しみと苦痛に、真珠か水晶の涙を流している聖母マリア、そうして昼夜ぶっつづけに打ち鳴らされる太鼓の響きと笛、それに間を置いての打ち上げ花火の轟音である。馬車や牛車、それにトラックもほとんど道のないような広大な牧場や小麦畑などの道路を辿って行くのであるから、二六時中揺れに揺れ、そこへもって来て冷たいビールや白葡萄酒、あるいはシェリー酒が配られ、これでは昼寝どころか夜も眠れまい。  村や町の行列が、野原のどまん中で、あるいは川を渡渉出来る場所で出会えば、まず白葡萄酒を酌み交わし、兄弟姉妹の契りを結ぶためには白葡萄酒一本をまるまる頭からぶっかぶせて、それを金ダライで受けて飲みほさねばならぬ。渡渉地点では、男も女も全員が全員に対して水をぶっかけ合う。一種の洗礼行事であろう。  馬はいななき、牛はうめき立て、トラクターのディーゼル・エンジンは真黒い煙を青空に吐き立てる。ギターを掻き鳴らして歌われるカンテ・ホンドォの唄に、笛、ラッパ、太鼓、酒、酒……。  その喧騒と、最良の意味での野蛮さは、人々の血を騒がせる。  この間の七百年という時間は長い。日本で言えばざっと言って『古事記』や『日本書紀』の成立から応仁の乱頃までの時間にあたる。  このラス・マリスマス地方を含むあたり一帯は、わりに早くキリスト教徒の支配が恢復した地方ではあったが、それでも四、五百年間はイスラム支配下にいたのである。この辺に、たとえばシェリー酒で有名なヘレス・デ・ラ・フロンテラとか、アルコス・デ・フロンテラなどと、フロンテラ(国境)という名をもったところが多いのは、より南方の、まだまだイスラム治下の王国との国境の町という意から来たものであった。