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バイマprada二つ折り財布編集

 八月二十六日の大風から十日以上もたつのに、洛北《らくほく》の清蔵口にちかい松永久秀の屋敷は荒れ果てたままだった。  築地塀《ついじべい》の瓦《かわら》屋根は吹きはがされ、庭には瓦が散乱したままである。愛宕《あたご》山から移植したばかりの松は根こそぎ倒され、むしろに包まれた根を無残にさらしている。  それらを修理しようにも人手をさけないほど、久秀も家臣たちも多忙を極めていた。  久秀は昨年摂津滝山城主に抜擢《ばつてき》され、摂津の西半国を与えられた。その直後に播磨に兵を進め、三木、明石《あかし》両郡を支配下に組み込んだ。  三好長慶の家臣とはいえ、三十万石ちかい所領を持つ身となったのである。  ところが今度の大風で、所領は大打撃を受けた。  高さ三丈(約九メートル)はあろうかという高波が押し寄せ、海岸沿いの村や港は跡形もないほど破壊された。  流死者の数は五百人以上にのぼり、兵庫港につないでいた船の大半が流失した。  中でも痛手だったのは、港に荷揚げしたばかりの兵糧米が一俵残らず波にさらわれたことだ。  こうした災害の対応に追われている上に、丹波《たんば》への出兵の仕度も急がなければならなかった。  四年前に足利義輝を朽木谷に追った三好長慶は、阿波公方足利義維の将軍擁立をめざしている。  齢《よわい》四十九になるこの公方を擁して幕府を開くことが三好家長年の悲願だったが、朽木谷に逃れている将軍義輝の威光はいまだ衰《おとろ》えず、義輝に加担している朝廷の抵抗もあって、義維の将軍就任は延び延びになっていた。  こうした状況を打開するには、畿内の大半を手中に納めて三好家の権勢を確固たるものにする以外にはない。  長慶はそう考え、目下手中にしている山城《やましろ》、摂津、和泉《いずみ》、淡路《あわじ》、隠岐《おき》、阿波の六ヵ国に加えて、丹波、播磨の併合を目ざしていた。  長慶のもとにあって出兵の仕度万端を整えるのは、松永久秀の役目である。それだけに兵糧米の確保や戦場人足の徴用などに忙殺されていたのだった。  秋の空がからりと晴れたこの日も、久秀は早朝から文机に向かい、関係帳簿に目を通していた。  すらりとした細身で、身の丈は六尺ちかい。目が大きくあごの尖《とが》った精悍《せいかん》な顔立ちである。  血の色が透けて見えるほどに色の白いなめらかな肌をして、月代《さかやき》を美しく剃《そ》り上げている。濃い口髭《くちひげ》をたくわえた顔には品格がただよい、四十九という歳よりはずいぶん若く見える。
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